日常からの視点

永遠の0と風立ちぬ…混ぜるな危険!信念を貫く強さが欲しい現代っ子の戯言

映画『永遠の0(ゼロ)』を見に行ってきました。

以前に零戦設計士の話である映画、
風立ちぬについても触れたので
ちょっと対比させてみようと思います。

 

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何が正しいかなんて知らないけど。

さてさて。

以前、永遠の0の小説を読んだのをきっかけに
零戦の設計士の話、ということで風立ちぬにも俄然興味が湧いたんですが
”映画版永遠の0”も是非見てみたいと思っていました。

ただ、この2つの映画には「生」とか「愛」とかいう共通項があるようで
主人公の根本的な価値観はちょっと違うように思いました。

 

(ここで述べるのは、あくまで個人的な感想と
アフィリエイター目線での話なので映画レビューとかじゃないんですが)

 

先に、ネタバレってほどではありませんが
永遠の0のストーリーについて軽く触れておきます。

主人公、宮部久蔵は”生きて帰る”ことを強く望んでいた零戦の搭乗員です。

にもかかわらず、宮部は特攻に志願して自らの命を絶ちます。
そこにはどんないきさつがあったのか。
宮部が大切にしていた”生きて帰る”ということを周りがどう受け止めていたか。
戦局の中で信念が揺らぎはじめ、それでもどういう形で意志を貫いていくか。

当時の搭乗員仲間や現代に生きる遺族の視点を通し、
様々な角度から宮部の生き方を振り返っていく物語です。

 

宮部は天才的な飛行技術を持ちながらも
”戦わずに逃げてばかりいる搭乗員”として
周囲からは『臆病者』呼ばわりをされます。

 

だけど、宮部が大切にしているのは、戦争に勝つことではなくて
戦争が終わるまで生き延びて、家族のもとに帰るということ。
また、自分以外の搭乗員にも
本当に守るべきものを忘れないでほしいと強く願っていました。

 

そんな宮部を『自分の命を大事にする臆病者』と評する人が大半を占める中、
宮部の真意に心を打たれた幾人かは命がけで宮部を援護しようとします。

 
宮部こそが本当に強い心の持ち主であり、
自分の体を張ってでも生かしていくべき人物だと。

 
各人の大事にしているものが
・国のためなのか
・身近な人のためなのか
根底にあるものが違うために
宮部への周囲からの評価は真っ二つに分かれます。

国のために自分を捧げるっていうのは
今の時代では考えにくいことですが…。

 

だから現代に生きる私達はやっぱり宮部が大切にするものに共感するし、
宮部には生きていてほしいと願ってしまう。

 

 

まあそんな感じで、見てる私たちは宮部側を応援しながら
ぐいぐいと映画の世界に引き込まれて行くんですが、
ここでは『風立ちぬ』の話を混ぜる実験をしてみます。

風立ちぬの主人公、堀越二郎さんは零戦の設計者です。
こちらは飛行機に夢をかけて、戦時中を懸命に生きていく若者のお話。

 

二郎さんは夢追い人であり、
それを実現させるために徹底して努力をして
健気に生きていく様が私たちの共感を誘います。

なんですが。。。

永遠の0の宮部からすると、二郎さんは恨みの対象ですらあります。

 

映画ではこの部分は特化されていませんが、小説では

「なぜこんなに高性能な飛行機を開発してしまったのだ?」
「いくら飛行機が素晴らしくても、人間の精神限界をわかっているのか?」

というような表現が出てきます。

人間のための飛行機だったはずが、
人間が飛行機にあわせて無理な戦闘方法を要求されるようになるからです。

 

また、風立ちぬのラストシーンでは
目の前に零戦が大量に破壊された風景が広がり、
二郎さんは無表情で「地獄かと思いました」と呟いています。

 

見方によっては零戦の設計士が悪ともとれてしまうし、
現に、風立ちぬの中での二郎さんは
妻よりも飛行機への愛のほうが強いのではないか?
と感じさせてしまう部分もあります。
(妻にとって、それは問題ではなかったように思いますが)

 

…と、ここまで読んで、風立ちぬを見ていない方にとっては
二郎さんにあまり良い印象を持たれないかもしれないですが、
戦闘機を作る事が悪だとか言いたいわけじゃありません。

 
風立ちぬは人の強さも弱さも素直にさらけ出された
真っすぐで素敵な映画だと思ったし、
今までに見たジブリ映画の中では最も印象に残っています。

 

これって、どっちの視点が正しいとかじゃなくて、

国を守ることで後の発展に繋がる、という考えもあれば
家族を守ることが最優先、という考えもあれば
夢の実現こそが生きる希望だという考え方もあります。

宮部=特攻=テロリスト=悪
という考え方をする場合だってあり得ます。
(映画の中でもこういう議論シーンが出てきますが)

 

何にしても、主人公たちは自分の中の価値基準をもとに行動してるから
その視点に沿って私達は引きこまれていきます。

主人公の価値基準を何にするかによって物語の肝が決まってきて、
それが定まっていなければ
きっとグラグラなストーリーになってしまう。

価値基準を混ぜ込むほどに
違和感だらけの駄作にもなりかねないですよね^^;

まさに「混ぜるな危険」です。

 

じゃあ、大事なものってなんだろう

「これが正しいんだ!」と思ってても
こんなふうに別の視点から見たら逆転してしまうこともあって、
結果、考えがころころ変わってしまうこともあります。

 

じゃあ、何をもとに行動していけばいいんだろう?って考えたとき、
従うべきはやっぱり自分自身の価値基準なんじゃないでしょうか。

 

永遠のゼロ:宮部の価値基準=家族を守ること
風立ちぬ:堀越二郎の価値基準=飛行機という夢

 

ここがグラついてないから、
彼らは自分の行き方を見失う事が無くって。

 

… じゃあ、例えばアフィリエイターとしての自分の価値基準は?

お金?仕事?友達?家族?夢?

私の場合は、アフィリエイトってものをよく知らないうちは
”自分でお金を稼げるひとつの手段”
ぐらいにしか思ってなかったんですが。

調べて行くうちに、そうじゃない、もっと発展性のある
これから生きていく上で必ず役に立つスキルだと思うようになりました。

 

ネットでの集客って?
サイトの作り方って?
求められるコンテンツって?

アフィリエイトは”楽して稼げる方法”なんかじゃない。
もしこれから別の仕事をしていくにしても、
必ず役に立つ仕事のスキルなんだ。

それどころか、”行動力が大事”とされる世界に身を置いたことで
現に思考の変化によって、生活する上での考え方さえ変わっていくほどです。

 

そして、あるていど収益が安定すると、
何のためにお金を稼ぐのか?とか
稼ぐんならアフィリエイトじゃなくたっていいんじゃないか?とか
いろんな事を思うようになってきました。

単にお金が欲しいだけなら
宝くじでもギャンブルでもやればいいじゃないかって話になりますし。

大事なのは、お金じゃない。
お金を稼ぐ手段が大事なんだ。

 

私は、自由にできるアフィリエイトが好きです。
人の思いを視覚表現できるデザインが好きです。
人が楽しんでくれるような企画を実行する事が好きです。

 

それを根底にして、どんな仕事をしていくか?を考えたとき、
・物販アフィリエイトを続けながら
・ビジュアルコンテンツ作成をネット上でも行い
・同じ志を持ったアフィリエイターさんたちと一緒に上を目指す

アフィリエイト関連としては、この3つを続けて行こうと思いました。

さらに言えばアフィリ以外も別件で仕事をしてますし、
とにかく、自分が楽しくできることなら
なんでもやっちゃえ!という感じです。

もちろん、任せられるところは外注さんに任せながらですが。

 

やってみてダメならダメで次に繋げればいいか、という感じで
試行錯誤の日々ではありますが、

とりあえず、興味のある事には挑戦してみたり
本当にコレでいいの?ってことも、
やってみないと分かんない事に関しては
やってみるのはありかなーと思ったりします。

私が好きな岡本太郎さんの「危険な道を選べ」って心意気でですねぇ。
(明らかに道徳違反でないかぎりは…^^;)

 

私は自分の『絶対的』といえる価値基準を
今この場で恥ずかしげもなく言える根性には欠けるんですが
迷ったときは”現時点で根底にある大事なもの”を振り返ると
少なからず答えに近づけるとは感じています。

仮に「これで完璧!」とか思っても
新しい理想って今後もどんどん生まれていくんだろうし。

 

答えが何なのか、とか何が正しいかは知らないけど、
何が喜ばれるかとか、何をすれば理想に近づくかってのは
なーんとなくでも個々のなかにあるもんじゃないのかなあって。

 

で、それが叶えられた時に
嬉しさとか、楽しさとかを感じられるんだろうな。。。

 

…と、独り言になっていまいましたが
迷ったときはまず価値基準の見直し!

それでも分かんないときは、
とりあえず実験的にでも行動してみるってことで
どーにか良い方向に進めて行きたいもんだなって…

成功してるように見える人ってのは
きっと、いろんなややこしい物事を乗り越えながら
自分の理想に近づいていってるんですよね^^

 

PS:不必要な物は捨ててから挑む方がスムーズなんだけど

先に原作を読んでるとついつい「あ、ここ原作と違う…」
っていう違和感に気持ちが覆われてしまって
映画の世界に入り込めなくなってしまうことがしばしば起こるので、
映画やドラマを見るときは、なるべく

『原作とは別物!』

と割り切るようにしてるんですが。。。
ゼロを見る前に原作と切り離すことをうっかり忘れてしまっていたので
最初ちょっと映画の世界に入り込むのに苦労しました。

 

違和感を感じるとなかなか入り込めないことってよくある話で、
こういう原作と映画の違いもそうだし、
人との会話の中で「この前はこう言ってたのに、今言ってる話は違うぞ?」とか
些細な突っ掛かりがあると前に進みづらくなってしまうことがあります。

 

できるだけスムーズに話をすすめたり、事を運ぶには
統一感があることも大事ですし、
余計な先入観はどっかに預けてたほうが、事はスムーズに運ぶと思います。

 

先入観が邪魔をして、最初は入り込めなかった『永遠の0』ですが
元零戦搭乗員の井崎を演じた橋爪功さんの登場シーンからぐいっと引きこまれ、
さらに主人公の宮部久蔵役の岡田准一さんが素晴らしすぎてですね。

 

岡田准一さんといえば
ものすごくストイックに役作りをする方、というイメージはあったんですが
自分が持っている岡田さんのイメージと宮部久蔵という人のイメージが
本当にぴったり当てはまっていて、
さっきまで『ひらパー兄さん』だった岡田さんが
完全に”過去に生きていた人”になっていました。
↑大阪の人しかわからないネタですが^^;
気になる方はyoutubeで『超ひらパー兄さん』で検索してみてください

原作を読んだ方は一旦リセットして、
ぜひぜひ先入観なく見ていただきたい映画です♪