先日はしばらくお休みをいただき、
京都某所で山籠もりの日々を送っておりました。
…って、なんじゃそらーっ|д゚)??
先ず、各種業務を完全にお休みさせていただきましたこと、
クライアント様にはご理解いただきましたお礼を申し上げますm(_ _)m
さてさて、その間何をしていたかというと、
10日間ほど京都で瞑想しに行ってました…
瞑想て…おいおい、
なんか怪しい宗教にでも入っちゃったの??(・o・;)
っと、そういうわけではなくて、
私が体験した瞑想は、宗教とは一切関係ないどころか
そういう括りを設けることに対して
どっちかというと否定的なようでした。
私自身、昔から”瞑想なるもの”に対してなんとなーく興味はあったものの、
実際何をするのか?ってのは知らなかったので
「じゃあ、時間が取れる今、経験してみるか!」と
軽い気持ちと興味本位でコースに申し込んでみたんですが…
瞑想を体験したら何か変わるのか?
なんの予備知識も願望も持たずに漠然と参加した結果得たものは、
意外にもビジネス面で使える実践術でした。
説法に意味はない?実体験した者だけが成功できる
私が体験したのは『ヴィパッサナー』という
2500年以上前にブッダが行った瞑想法の実践です。
余談ですが、無知な私は”ブッダ=仏教を作った人”だと勝手に思っていました。
全然違ったんですね^^;
ブッダは”正しく生きるための道を実体験から学び、
その実践方法を人々に伝えた人” であって、
自分や偶像に祈りをささげるのではなく、
実生活・現実をきちんと見つめることに重きをおいていたそうです。
瞑想合宿中に聞いた講話の内容からこの事を知った時、
「…なんだ、アフィリエイトから学んだことと考え方が一緒じゃん」
と思ってしまいました。
正しく実践した人は、必ず結果を出す。
これは今まで諸先輩方から散々聞いてきた言葉であり、
自分自身もひたすら教材内容を実践したことで
今までどうにか結果を出すに至っています。
ビジネスと解脱(げだつ=苦しみからの解放)、対象は違えど
根底は同じことを2500年以上も前からブッダは仰っていたというのです。
「私だけがブッダ(ブッダ=『目覚めた人』の意)なのではない。正しく実践すれば、すべての人はブッダとなりえる。
すべての人は解脱への道を歩める。」
※「ブッダ」というのは解脱後の彼の呼び名で、本名はシッダルタさんです
ブッダは最初からブッダだったわけではなく、
自ら行動をおこしたことでブッダになった。
そして、その実践方法を人々に説いて回り、
実践した多くの人を解脱に至らしめた。
その中で、ブッダはこんなようなことも仰っていたそうです。
span style=”color: #800000;”>「私が実践方法を説いたところで、
それを聞いて得た知識として持っていても身にはなりません。
いくら教えを聞いて納得したところで、
それを実践しなければ意味がないのです。」
…ほんっと、アフィリと同じだな(;’∀’)
ここでは、主に次の4つを理解することが
正しく瞑想をするうえでの肝なんだと感じました。
- 読んだり聞いたりした知識は表面上での理解であって、経験する事には遠く及ばない
- 全ては自分の責任
- 嫌悪の感情は損をするだけ
- 全ては変化する
では、「1」は前述の通りとして
残りの3つに関しても感じた事を綴ってみたいと思います。
2.全ては自分の責任
「あの時あいつがこう言ったからこんな悪い結果になってしまった」
「あいつがこうしていれば今こんなことにはならなかったのに」
こんなふうに私たちは、常に回りの状況や周りの人の意見に反応して
「嫌だな」と思ったり、反対に「嬉しいな」と思ったりします。
アフィリエイトを始めてみたものの
「この教材はダメだ」
「塾に入ったけどぼったくりだった」
「子育てで時間がとれない」
「仕事が忙しくて作業できない」
「家族の声がうるさくて集中できない」
といったように、教材のせい・人のせい・環境のせいにする人はいますが、
本当にそうなのでしょうか?
例えば、私が実践して成果を上げた教材にルレアがありますが、
ルレアは稼げないという人もいます。
それは単に自分のモチベーションが低いからだったり
教材との相性だったりで、教材自体が悪いものではないのです。
例えば、メールでアフィリエイト塾のオファーを見て
申し込んだ事がある人もいるでしょう。
「数十万払って入ったのに、内容を見たらボロボロでしたー><」
なんていうメッセージをメール相談で頂いた事もあります。
中には本当にクソみたいな塾もあるかもしれませんが、
その講座を本当に実践したんでしょうか?
以前こんなことがありました。
ある有名なSEO塾(仮称A塾)に関して、
あまり評判が良くないと又聞きで聞いたことがあったんですが、
実際に受講したある方が
「今A塾で学んで実践してるんですが、すごい勉強になってます!」と
情報提供してくれました。
そう言っていた彼は行動力が半端じゃないですし、
それに伴う報酬の伸びもまた順調のようです。
要は、
『本気でやるかやらないか?』の違いで
対象物への評価も変わる
ってことじゃないでしょうか。
自我のある私たちはなにかにつけて
他人や周りに責任の所在を託してしまうけど、
一見理不尽なことさえ実は自分の責任なんだと自覚できたら
案外楽になれるもんだと思うんですよ。
もっと言えば
「あいつがこんな事を言うから嫌な気分になった」というのも、
自分の受け止め方次第だと割り切れれば
相手に対して無駄に嫌悪感を感じずに済むんでしょう。
まあ、そこまで仏さんみたいな心になろうとも思ってないけど。
実際、そうなれればずっとおだやかでいられるんだろうなってのは思います。
自分がしたいと思ったことなのに、
周りにできない理由を押しつけてしまえば
解決しようがなくなってしまいますしね(^_^;)
自分を変えることはできても他人を変えることはできないですから。
グダグダ言ってても結局やるのは自分。
なら、グダグダ言ってる時間がもったいないですよね。
3.嫌悪の感情は損をするだけ
・マイナスの感情を言葉にして愚痴を言われたとき
・感謝の言葉を言われたとき
聞いててどっちが気持ちがいいでしょうか。
答えは明白ですが、嫌悪の感情があると自分が損をするだけでなく
周りの人にも迷惑のおすそ分けをしてしまいます…(´・ω・`)
私は「何があっても絶対に愚痴を言うな」とまでは思わないけど、
(だってそこまで人間ができてる人なんてめっちゃ稀だし)
言わなくて済む方法はあるし、
そもそも毎日充実していれば愚痴なんて発生しないもんだと思っています。
アフィリエイトも開始当初や伸び悩んでる時は
「なんでうまくいかないの?」って思うし
文句を言うのはお門違いだけど、
悩みや不安を聞いてもらうことは精神的に必要なことだと思います。
だけど、悩みを抱えながらも、とにかく前に進めていくなら
日の目を見るときは遅かれ早かれ来るんです。
来るんですよ、ほんとに。
そうなったら、ほったらかし気味で収益を上げながら
自分のしたいこともできるようになるので
「そういえば最近の自分は愚痴を言ってないな…」と
元同僚などの仕事の愚痴を聞いたときに思い出したりします。
「あー、世間はけっこう愚痴だらけなんだな…
まあ自分はこの世界とは繋がろうと思わないけど」と。
だって、愚痴も悪口も言わないし感じないほうが
ずっと気分がいいんですもん。
自分のこころが豊かだと、他の人の成功を一緒に喜べたり
感謝する気持ちが常に湧き出てきたり
他の人が発する愚痴や悪口を聞いても笑って受け流せるようになります。
根拠のない過剰な自信だけで
「自分はラッキーだから大丈夫!」とかいうのはちょっと違うと思うけど、
いろんなことに対して感謝の気持ちが湧き出てくれば
「自分は本当にラッキーだなー、ありがたいなー」と素直に思えるし、
周りにもそういった素直で楽しい人たちが集まるもんだと、実際感じています。
で、自分が周りから感謝してもらえることがあれば
お互いに向上していけるし、そこはハッピーの塊になれちゃいますよね。
自分を犠牲にして他人に尽くす、っていう人もいるんだろうけど
自分が本当に幸せを感じてないのに
周りの人を幸せにできるのか?というと
めちゃくちゃ難しいと思いますし^^;
自分がめっちゃイライラしてるのに
他人に心の底から喜んでもらえるとは考えづらいですよね…
単に「仕方ないからやってあげてる」っていうのも
親切の押しつけですし。
愚痴やイライラの感情は、自分だけでなく周りをも傷つけてしまいます。
吐き出すことで、自分は一瞬スッキリするかもしれないけど
吐き出された相手の脳には
「あの人はこの前こんな悪口を言っていたな…」と
何度も何度も繰り返し思い出されて、そのたびに延々と嫌な感情を与えてしまいます。
結果、「あの人は悪口を言ってばかりの人だ」という印象付けがされてしまい、
自分の嫌悪感を相手にも与えてしまう悪循環になってしまいます。
モチベーション低下が良い例で、
文句ばっかりいってる人の中で働いても
「がんばるぞ!」って言ったら空気読めてない人扱いされるだけだし^^;
流されて自分も周りもダメになっていってしまう。
私たちはみんな損より得をしたいんで、
そんなら嫌な部分を積極的に見つけることはもう辞めにしたほうが
ハッピーな成功につなげられるんだろうな、って。
4.全ては変化する
そういう嫌悪の感情って、実はいつまでも続くものじゃなくて
一時的なものなんですよね。
蚊に刺されてかゆいのも、一生その部分がかゆいわけじゃない。
数日で治る、変化していくものです。
なのに、私たちはご丁寧にも、いちいち何度も反応して嫌な思いをしてしまう。
「いやいや、蚊にさされてかゆいもんはかゆいんだよ!
我慢できないし、辛いし、嫌だよ!」
…そーなんですよねえ~^^;
でもねえ、
「これは一時的なもので、すべては変化するんだ」
どうせ変わるんだから、嫌悪の感情をむき出しにしてる意味がない。
google検索で1位から圏外になっても、そういうもんだと受け入れるしかないんです。
コンテンツが良ければ戻ってくる(また変化する)んですから。
アフィリエイトでいうならリスクヘッジで複数サイトを運営するなど、
対策をする必要はありますが…
この現実を、”止まない雨はない”みたいに
言葉で聞いたセリフから納得することもあるでしょう。
それを実体験で「また変わるんだから。」と
冷静に受け止め、解決できるようになるのが
ヴィパッサナー瞑想の実践だったわけです。
瞑想中に考えたこと
基本的に無心で、ただただ体に今ある感覚を冷静に受け止め続ける、
ということを1日あたり10時間ぐらい(×10日間)続けてたんですが、
やっぱりいろいろ考えちゃうんですよねー、雑念が…^^;
最初の頃こそ無意味な雑念が多かったんですが、
中盤に入ってからは
「自分は本当はこういうことがしたかったんだ」とか
「じゃあ目標達成するには今なにをすべきか」とか
「こんなことをしたら注目されるんじゃないか」というアイデアが
不思議なもんで次々と出てくるんですよね。
しかも、メモらなくてもちゃんと、ずっと覚えてるようなアイデアが。
体感覚が研ぎ澄まされた相乗効果で
脳みそもリフレッシュされたのかもしれません。
…って、この感覚を保ち続けるには
やっぱり瞑想合宿期間が終わってからの継続が一番肝心な部分だそうです。
ほんと、何事も、続けないとねえ~。
外部との接触を完全シャットアウト!
長くなりましたが最後にもう一ネタだけ。
ヴィパッサナーの修行に入るにはいくつかルールがあるんですが、
その中に『外部との接触を遮断する』というものが含まれます。
ネットビジネスのメリットといえば
外出していても、旅行しながらでも
wifi&ノートPCがあればどこでも仕事ができるってことなんですが…。
瞑想センターに居る期間はスマホ、携帯といった機器はすべて、
本やメモ帳すらすべて預けないといけない決まりになっています。
”徹底的に自分の中にある感覚とだけ向き合う”ことが必要なため、
外部との接触は完全に遮断し、
自分の言葉を書き起こすことも禁止されているのです。
もちろん、緊急時は施設に連絡することはできますが、
基本的には心を自分の内側にのみ向ける日々を過ごす修行法のため、
外に気を散らすようなことをしてはいけないことになっています。
まあ、そんなわけで私も完全に外部との接触を遮断し、
普段はネットでガンガンに得ている情報網も
この期間中はプッツリ切っていたのでした。
私が参加した期間には、男女合わせて50人近くの人がいましたが
- お互いに会話をすること
- 目を合わせること
- ジェスチャーをすること
- 肌に触れること
これらすべてが禁止されています…Σ(゚Д゚)
どういう状況か、想像できますでしょうか^^;
普段の生活の中ではありえないような
かなり異色な体験だったので、瞑想体験の詳細はまた追々綴ろうかと思います。